“ヒーロー”とは?”正義”とは?DCユニバース『スーパーマン』感想!!

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遂に公開されたDCユニバース劇場公開第1作目となる『スーパーマン』を早速観てきました!

当ブログでは普段マーベルに関する投稿しかしていませんが、仕事や育児の合間にリアルタイムで追いかけるには一番好きなマーベルだけで”手いっぱい”と言うだけで、もちろんDC作品やその他のヒーローも大好きです。
(かなりスローペースではありますが、DCエクステンデッド・ユニバース作品もほぼ観ました)

まだまだ我が家の子供たちが小さく、自分の趣味にかける時間をそれほど多くは作れないため、引き続き公開中に劇場へ足を運んで観るのは基本的にマーベル作品のみにしていますが、今回は大好きな『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズを手掛けたジェームズ・ガン監督によるDCユニバースの門出となる作品であり、また、たまたま一人で映画を観に行く時間を作ることもできたので、封切りすぐのこのタイミングで観客動員数にカウントしていただく形でお祝いをしてきました。

と、いうことで、今回はコチラの投稿で本作についての感想をネタバレ回避でまとめて行きたいと思います。

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ド直球の”ヒーロー”像

皆さんにとって、”ヒーロー“とはどんな人物の事を指すでしょうか?

私にとって”ヒーロー“は、今や一言では表せない存在となりました。

幼少期の私にとって”ヒーロー“とは、仮面ライダーウルトラマン、そしてスーパー戦隊のような、”分かりやすい“から身を挺して人々や平和を守る”正義“の象徴であり、憧れの存在でした。

そんな”ヒーロー“の物語も、時代と共にその様相が変化してきたように思います。。

その代表的な例が、私にとってはマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)でした。
(DC作品の感想にもマーベルを絡めてしまい恐縮です)

MCUで描かれるのは、ヒーローヴィラン、”それぞれの正義“です。

私も歳を重ねるたび痛感しますが、現実の世界での仕事一つとっても、人によって、そして立場によって正しさが違ってきます。

MCUにおいても、登場人物一人一人が積み上げてきた人生/価値観がそれぞれの”正義“となり、相容れない”正義“と”正義“がぶつかることで数々の人間ドラマとして描かれます。

その魅力的で重厚なストーリーがきっかけでしばらく離れていたヒーロー作品にまたドップリとハマることになり、こうしてブログを運営するまでになりました。

そして今ではむしろ、人それぞれに異なる”正義“があるということこそ普通なんだと感じるようになりましたし、そのこと自体は間違っていないと今でも思います。

しかし、本作で描かれるスーパーマン/クラーク・ケントは、MCUDCエクステンデッド・ユニバースなどで描かれてきたヒーロー達とは一線を画す、私がかつて憧れた”ヒーロー“像を体現するような存在でした。

本作を視聴された方のなかには、彼のまっすぐな意志、そして言葉に心を打たれ、涙した方も多いのではないかと思います。

私自身、劇場で何度もボロ泣きしてしまいましたし、「ヒーローってやっぱりこういう人の事を言うんだよな」「自分もそうありたいな」と、懐かしくも温かい気持ちが蘇ってきました。

そしてこの”ヒーロー“像は、スーパーマン/クラーク・ケントでなければ説得力を持って描くことが難しいような気がします。

そんな彼が魅せる真っすぐド直球な”ヒーロー“像を是非、劇場でご確認ください!

本作はヒーロー映画の新たな金字塔と言っても過言ではないでしょう!!

クセが強めの登場人物たち!!

正統派なヒーローであるスーパーマン/クラーク・ケントとは相対的に、本作で彼を取り巻く登場人物はヴィランも含めかなりクセが強めのキャラが多く、そこがまた本作の魅力の一つでした。

ジェームズ・ガン監督は、一人一人の登場人物に魅力的な特徴をつけることで作品を最後まで飽きさせることなく描くことに長けた方だと思います。

こちらの感想では、そのなかでも印象に残った人物たちをネタバレしない範囲で簡単に紹介していきたいと思います。

■ジャスティス・ギャング

本作の世界観において、度々スーパーマンと協力体制を組むスーパーヒーロー集団です。

ミスター・テリフィックグリーン・ランタンホークガールの3名体制のこの集団は、スーパーマンとは対照的な、人間味溢れるヒーローとして登場します。

特に、一番真面目そうなミスター・テリフィックのヒーローとしての活躍っぷりとコミカルさには、既に本作を観た方々の中でもファンになった方が多いのではないでしょうか?

また、グリーン・ランタンはチョイ悪系で、頼もしいパワーを持ちながらも決して高潔さを感じさせない面白いキャラクターでした。彼を主人公とした作品を今後是非観てみたいです。

ホークガールはまだまだ魅力が描かれきっていないように思いました。彼女についても是非今後の活躍に期待したいところです。

■レックス・ルーサー

本作のヴィランであり、パワーを使わずスーパーマンを頭脳で極限まで追い詰める最恐のキャラクターです。

ジェームズ・ガン監督は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズでも、視聴者が怒り・憎しみを覚えるような非情なヴィランを度々登場させてきましたが、本作のレックス・ルーサーもまさにその印象が強かったです。

観ていて心の底から嫌悪感を抱くような言動をとる彼ですが、とは言え、人間の業の深さを体現するようで、憎み切れない部分もありました。

だからこそ本作は、スーパーパワーを持つクリプトン人(スーパーマン)と人間の対決でありながら、最後まで緊張感のあるストーリーに仕上がったと思います。

特に、彼とスーパーマンが真っ向から対峙し、お互いの主張をぶつけ合う終盤のシーンは必見です!!

■クリプト/スーパーマンロボット

本作におけるクセつよキャラクターは、人間だけに止まりません!

その代表格がスーパードッグ、クリプトです。

ただただスーパーパワーを持っているだけのやんちゃで無邪気なワンちゃんが、本作全体を明るく仕上げてくれています。

もちろん、単純なムードメーカー的な存在ではなく、スーパーマンの良き相棒としても活躍してくれます。だからこそ、名実ともに本作におけるMVPに彼を推す方も多いことでしょう。

また、予告編でも登場しているスーパーマンロボットたちも、異質でありながら本作に無くてはならないキャラクターでした。

彼らは自身に”感情が無い”と言いますが、感情が無い人物から飛び出す言動が人間味に溢れすぎているところが魅力で、スーパーマンを心身共に陰で支え、本作に更なるスパイスを添えてくれる存在でした。

忘れてはならない本作を彩る音楽!

ジェームズ・ガン監督による巧みな音楽演出についても、もちろん外すことのできない本作の魅力の一つでした。

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズでもそうでしたが、音楽好きのジェームズ・ガン監督ならではの演出が光ります。

そのなかでも特に本作で印象的だったのが、1978年版のスーパーマンから受け継がれるメインテーマです。

スーパーマンの代名詞とも言えるこの音楽が再び本作で蘇り、劇中やエンドロールで流れたときには胸が詰まりました。

良い映画、良い音楽は何十年経っても色あせません。

確かに新しく世に誕生する素晴らしい音楽も沢山ありますが、こうして何十年ものあいだ、作品の”代名詞”とも呼べる音楽が残っている作品は数少なく、その音楽に最大級のリスペクトを払って効果的に演出してくださった点については、流石と言わざるを得ません!!

現代に蘇ったこのメインテーマは是非、劇場の素晴らしい音響で聴いていただきたいです!!


ということで、懐かしくも新しいヒーロー像と音楽、そしてジェームズ・ガン監督ならではの魅力がこれでも詰まった2025年版『スーパーマン』の感想でした。

如何でしたでしょうか?

もしまだ本作をご覧になられていない方で、感想を読んで興味を持ってくださった方がいらっしゃいましたら、是非公開中に劇場に足を運んでいただけたら幸いです!!

そして最後に。

上記でも触れた通り、本作の影のMVPとも言える愛らしいクリプトのぬいぐるみが劇場で販売されていると知り、どうしても欲しくなった私は映画館を4軒回ってようやくゲットすることが出来ました。

本作を観た方は私と同じように欲しくなってしまうと思いますが、いち早く売り切れが目立つ商品となっていますので、お早目の購入をオススメします!!

[雑記]
私とスーパーマンの出会いは、今思い返してみると、小さいころにテレビの地上波で放送されていた1978年からスタートした『スーパーマン』の劇場シリーズ作品だったと思います。

終盤、ラスボスだったか女性らしき人物が事故に巻き込まれ機械化したうえでスーパーマンを襲うシーンが衝撃的で怖すぎたことが記憶に残っており、それ以来、大人になるまでスーパーマンを観ることはなくなりました。
大人になってから観たのは『マン・オブ・スティール』です。

本作を観たあと、「あれってなんのシーンだったんだろう」とふと思い立ち、Huluでシリーズを観ることが出来たので全作品を早送りで探したところ、見つかりました。

実に数十年ぶりの再会を果たしたシーンは、結構記憶と色味が違いつつも概ね合ってて感慨深かったです(笑)

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